「一隅(いちぐう)を照らす」
こんにちは!いつもブログを読んでくださってありがとうございます( ^^) _旦~~
「一隅を照らす」
この言葉は、天台宗を開かれた伝教大師最澄(でんぎょうだいし・さいちょう767~822)さまが書かれた『山家学生式』(さんげがくしょうしき)の冒頭にあります。
意味は…
「お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも代え難い貴い国の宝である」
つまり…一人ひとりが、それぞれの持ち場で全力を尽くすことによって、社会全体が明るく照らされていくという考え方です。
私の父はこの言葉が好きで、よく私に教えてくれました。本が好きで、わからない言葉は「広辞苑」で調べなさい!っていつも言ってました(笑)
去年の7月12日に最愛の父が亡くなってもう1年経ちます…もう一周忌も終えましたが、まだまだ父が亡くなったなんて思えないくらいなのと同時に、もう何十年も前のことのように感じることもあって複雑な気分です…
父は2年8か月の闘病生活末、膀胱癌で亡くなりました。
癌は見つかったときはもうほぼ手遅れで、即、膀胱摘出しかないと言われ余命は1年だと。
初めて告知されたとき父本人はもちろんのこと、母もいて、2回目の時は私も立ち合いました。まさか父が癌になるなんて思いもしなくて、テレビドラマの世界だと思うようでしたが「癌=がーん」という感じでハンマーで頭を思いっきり殴られたようにショックでした!特にその頃の私は鍼灸学校の3年生の11月で翌年の2月に国家試験を控えていて、膀胱摘出手術も2月でダブルパンチ!さらにその頃の授業では膀胱癌を勉強していて、テストにも膀胱癌が出たりして連日連夜涙がとまらず、授業中でも思い出しては泣く毎日でした。
膀胱摘出は無事に終えたのですが、もう5月には転移してしまい再入院。
亡くなる4か月前に父が再入院した時は、最後しっかりと看取ってあげたくて私は勤めていた職場を辞めて実家に帰りました。最後4か月近くはずっと入院生活でしたが、入院していた病院の看護師さんたちがとても良くしてくれて、父もとても救われていたようです。その看護師さんたちが父のことを揃って「土橋さんは私たちナースみんなの癒しでした!」っていうのです!気が短くて頑固な父でしたが、意外にユーモアがあったので、ナースさんたちを笑わせていたのかな?なんて思います(^^♪
父はとにかく心配性でした。精神的ストレスが多くて、うまくストレスを発散させることが昔から苦手でした!夜も眠れないことが昔から多かったみたいで…
この4年ほど、私も家族もみんな大変でしたが、ようやく少しづつ落ち着きつつあります。
鍼灸師になって活躍している現在を父には見せてあげられなかったけど、心配性だからきっと今頃どこかで見ているはずです♬
私も父の死を乗り越え、ずいぶん強くなったようです!
これからは父の代わりに沢山の方の心と体を救ってあげられるように努力します。
「一隅を照らす」
いい言葉ですよ~
「今日もよし、明日こそよし、よし接骨院♪」
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